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  • 執筆者の写真木屋別太郎

【ひま人限定公開】鎌倉殿から家康まで?謎多き中世のヘアスタイル事情

更新日:2023年9月20日

こんにちは。木弥別太郎です。

今日は私がこのところちょっと気になっていることについてお話しします。


日ごろ有益な情報をお送りしている当サイトの記事ですが、今回だけは他愛もない話ですので、ひま人限定公開とさせていただきます。


「会社きたけどヤルコトナイナーズ」とかつぶやきながらSNS眺めてあくびをかみ殺している方のみ、読み進めてくださいませ。

話はまず髷を結ってからだ


さて、ワタクシ最近「丁髷(ちょんまげ)」が気になっております。

先日、某局の鎌倉殿の部下が活躍するTVドラマを見ていたら、貴族風の男性が「もとどり」(髷)を切られてわんわん泣いているシーンがありました。

それを見ていて、いくつか疑問がわいてきたのであります。


①大のオトナが泣くほどのことなのか

②「髷を切る」ことの意味とは?

③鎌倉時代には月代(さかやき)はなかったのか

④髷もそうだが、なぜ月代が流行ったか


なかでも気になるのが④の月代でござる。気になってしかたがないので、夜っぴいて調べましたよ。


月代「男の額髪をアタマの中央にかけて半月型に剃り落としたもの」(広辞苑)



究極の月代はNIKE系「糸鬢」

そもそも、なんで外国人もギョッとする月代なんてものができあがったのでしょうか。


中世の武士たちは、頭が蒸れるのを嫌って兜の頂上に通気口を空けていたんだそうです。

そして、その穴の下の髪を剃った。これが月代の祖先だといわれています。


それが戦国時代あたりから、戦じゃなくても「月代を剃っているのは武士っぽくてカッコイイ」となり、江戸の頃には庶民の間でも剃られるようになったというわけなんです。

強さへの憧れから、剃髪がファッション化したってことなんでしょうか。


ちなみに究極の月代スタイルは糸鬢(いとびん)といって、後頭部の髷のほかに、耳の上にNIKE風の細い髪がちょろっとあるだけの髪形。


これが江戸っ子の粋ってやつなんです。見ていただきたいけれど、お見せできる画像がどうしても見つからない。ごめんなさい。













そして「鎌倉殿」の時代に貴族が髷を切られることの意味ですが、位を示す烏帽子や冠を被るには髷が必要なんです。

子どもの頃はおかっぱ頭で、元服(成人)すると髷を結う。

つまり髷は立派な成人男性の証しだったんです。


そりゃ、切られたらオイオイ泣きますね。



江戸の「イケてるトレンドヘアスタイル」


最後に江戸時代のファッション雑誌『当世風俗通』のメンズ編に載っている「イケてるトレンドヘアスタイル8選」をご紹介しましょう。

『当世風俗通』(国立国会図書館ウェブサイトよりhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534201)


「金魚」とか「浪速」なんかはそれっぽいですね。さすが江戸っ子のネーミングセンス。

が、よく分からないのもあります。


「疫病」。


「今日の髪形どう?疫病にしてみたんだけど」

「え?ちょ、、、近寄らないで。マスクして。」

「……。」


まあいずれにせよ、こんなのを見て若旦那たちは髪をちょいちょいっと結い上げて、遊びに出かけていたんでしょうな。


外国人たちを驚かせた(現代の我々にとっても)謎のヘアスタイル「丁髷」。

鎌倉殿の時代から徳川将軍家の終わりまで、つまり武家の時代ならではの、ヘアスタイル事情でござんした。

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